夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

脳疾患の後遺症で要介護4になった夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

死ぬのにも徳がいる?


ある宗教家さんが
『死ぬのにも徳ががないと死ねないんですよ』
とおっしゃっていました。



そう聞いて。
 


人が、
死ぬときには穏やかに逝きたい、

って言うのは


あれは
穏やかに逝くには
穏やかに生きるのが

大事なんだなぁと感じます。


生きることに未練があれば

すんなり逝くことが出来ないと仮定すると

徳のある心でいれば

現状を全て受け入れてすんなりと逝ける事に繋がるとしたら

それが 徳がないと死ねない という表現となるのかも知れないと自己解釈しました。


 

どんな状況下にいても

物事を穏やかに捉えられる心が
徳のある心なのでしょうから
自分を満足させる心の状態でいることは
大事なことだとは思います。
いつ死んでも
この世に未練を残さないために..


その上で私が思う 徳 とは


単に 人事に尽くしたというだけでなく
この世を思いきり楽しんで生きる(楽しむ考え方で生きれた) こと。
そしてその全てを感謝に変換できる人が徳のある心の人だと..



人はいつ死ぬかわからないから
夫も生きているうちに
心の満足を得られるとよいなぁ.と思うのです。
悔しい気持ちや失望した気持ちのまま最後を迎えるのは家族も悲しく辛いです。
亡くなる時はせめて心穏やかであってほしいと..



夫は病気前は
人が羨むような仕事をし、
更にこれからの飛躍を望んでいたところで身体障害1級になりこの先の描く未来が奪われました。
描く願望があったから尚更、失望感が強い状態のままです。



どんなに輝く過去があろうとも
今に満足していなければ..
結局は
すべては今なのだと
夫の場合はそうだと感じます。


当然に
今の自分の身体に
満足感はないにしても


小さな幸せに..
それでも今.生きている事に
心の満足を得られる日がきて
一緒に喜びたいです。


彼にも生きていることを
喜んでもらいたい。


自分の身体を
元気な時の身体じゃなくても
今の自分の身体も愛してあげてほしいと
条件付きじゃなきゃ愛してあげられないのは
彼自身がかわいそうに思います。



明日 死ぬかもしれないとしたら
どんな日も
どんな酷い思いも  
大切にしたい。 


だから
満足できない夫の思いも大切にしようと
今は思います。



どんなに夫が死を望んでも、
人は寿命が来ないと死ねないし
徳が有る無しが
死期に関わるかはわからないけれど


三途の川も金次第、
という言葉もあるので


三途の川も心の金(徳)次第、
とい解釈したら
納得できる話しでもありました。



私も
自分に悔い無く
スッキリ逝くために
今日生かされた事を
満足できる自分でいたいです。



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