過去の葛藤。人は死にたくても生きてゆく
2024.1/19記述。
1/19の過去の思いです。
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朝起きると毎日死にたいと思ってきた。
この身体の症状になってからではない。
介護開始半年くらいからそうなっていた。
家に居場所がない。
いてもたってもいられない。
ウロウロするばかり。
要するに介護鬱だ。
主治医から出された薬はいくつも試すも副作用が強くて続けられない。
余計に生活に支障が出た。
毎日朝から死にたい、などと夫に言えない。
夫だってそうなのだろうから。
それでも堪えきれずに
2度目の施設入所を検討している時に思いを伝えた。
申し訳ない..
自分さえいなければあんたは自由になれるのに..
この言葉を聞きたくない、この言葉を言わせたくないから、私は言えなかったのだし自分のメンタルが持たない。
本当にごめん..
と夫に言いながらも
それ以上言葉が出ない。
自分の中の感情がせめぎ合う。
もうこんな繰り返しは嫌だ。
明るい未来を見たい。
夫と共にもう少しでも明るい未来が見たい。
どんな介護が今より辛く無いのか
自分はこの思いをどこに放てばいいのか。
それともそれを当たり前のように日常にしてゆけるのか。
夫が介護施設に入って離れて自分が仕事に行けたら気が紛れるのか。
自分にどう折り合いをつけられるのか。
わからない..
やってみなければわからない..
どこでどうやって生きていけばビジョンも描けない。
それでも人は死にたくても生きていくものだと思う。
それは私が37歳で最初の夫と死別した時にそうだったように。。
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【追記】
過去に何度か瀬戸内寂聴さんのことを記事にしているが、
寂聴さんは自分の子供を置いて出たときの理由として、子供を連れて家を出る事は共倒れになるから嫌だと思ったと語っていたことがある。
その上で、自分はとてもお母さんなどと呼ばれる者ではないのに娘が大人になってからお母さんと呼んでくれたことにびっくりしたと語っていた。
私はその生き様の強さに圧倒される。
私も、この身体の状態の夫であっても離婚できたらどんなに楽かとも思う。
離婚していない理由は色々あるが、このようなブログを書いている時点でメンタル面で大きな差があると思う。
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出すことをためらうような内容でしたが
出すことで今日も救われました。m(_ _)m