自我と痛み
人は元気なうちは自分の自我が勝つから
自我が抵抗して、嫌な自分は見たくないから否定して受け入れないようにしているのだろうか。
メンタル系のブログでは
「自分を受け入れましょう」という言葉が出てくる。
どんな自分も受け入れるということで、
それができると楽になるということだ。
自宅介護を始めてから介護鬱になって毎日死にたいと思うようになってから
そう思っている自分も受け入れてきたつもりで、実行にうつしたいというのではなく、そう思っている自分を受け入れるようにできてきた事は大きな収穫だった。
しかしは24時間有るこの痺れの痛みの症状が起きてからは、それから楽になりたくて自死できたらどんなに楽だろうと思ってきた。
今も半ばその気持ちもある。
しかしながら
私はこの症状が段々と悪化する中、気がおかしくなりそうでやっとメンタルクリニックに行く決断もできた。
それは、薬を飲む副作用の怖さが勝手に自分の中に振り込まれており、
飲んだら最後、薬漬けになってしまうのではないかと言う不安から行けなかった。
今は薬も良いものがたくさん開発されているわけなのに、そういう固定観念は自分の選択を狭めるものでしかないのだと最近は思えるようになった。
ありとあらゆるものを試したが今はそこに行き着いた。
そして生きるために、今はどんな物の力を借りても生き延びていかなければ、という開き直りも生まれ
今日の朝は、パッと心の中に
薬を飲んだって何だってどんな状態になったってどんな自分も受け入れる、と
自分が自分を受け入れてあげなかったら誰が自分を受け入れてあげるの?、と心の底から思った瞬間があった。
これは人生ではじめての経験である。
今までも、人生の崖っぷちと思えるような事柄はたくさんあったが、肉体の苦痛は今に比べればこれほどまでのものはなかった。
肉体の苦痛が これほどまでに心を成長させてくれるとは思わなかった。
更に心が弱ってそう思うのではなく、
自暴自棄になっているのでもなく、
自分を受け止め受け入れどんな状態でも生きると覚悟できた心の強さができたのだと思う。
私は今すぐ死んでも何の後悔もなく
この世に未練もないが、自死するくらいなら
何にでも耐えていこうと思える今である。
明日は2回目のブロック注射の日だが、それと同時にメンタル系の薬を出して貰えるように医師に頼むつもりでいる。
その上で、例えば薬のことで不安を感じたとしてもそんな自分も受け入れます。