生きる海を選びたい
夫は昨日、介護施設へ入所しました。
3カ月だけと言いながらもやっと受け入れてくれた入所。
夫は眠剤を飲んでいるにしても昨夜は夜眠れただろうか..
そう思うのは 私も眠剤使用であっても夜中、目が覚めてしばらく眠れなかったからだ。
施設は部屋の構造上、歩行器の移動に少々支障があり、机や冷蔵庫の位置のセットアップに時間を要したが
それでもまだ解決していない部分もあるので日々暮らす中で改良の余地ありで気になる。。
今回の入所は私の原因不明の病いの為、近いことが何よりも私自身の負担が少ないので1分の距離であるこの施設に決めたが費用が高い。(23万5000円)
医療費.薬代.訪問リハ.訪問歯科.トイレットペーパー.シャンプー.洗剤などの消耗品は別。
なので25万近くかかるだろうか..
夫の年金と私の年金の全てを持っていかれる。
少なくとも3カ月くらいの間に私の症状が緩和して働けるようにならなければ入所し続けることが出来ない。
その為に、あと4万くらい安い施設を探しておこうかとも思う。
今はとにかくこの施設で一旦 心身共に落ち着けると良いと思う。
落ち着けるか.私の症状が回復するかに意識を向けずに過ごせたら良いと思う。。
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私は例えば基本マグロだと思っている。
動くことをやめると死んでしまう魚。
子育中も生活苦から仕事も昼と夜を掛け持ちしていた時期もあった。
その頃はそれしか選択余地はなかったし一日はアッという間で考える余地さえなかったと言うのが正しいと思う。
それでも自分で全てを決められるという毎日の生活は身体はしんどくても心を病むことはなかった。
生活には笑顔があり何より子供たちの可愛さに助けられてやってこれたし子供は時が経つにつれ手がかからなくなるものなのだ。
子育てとは違い介護に喜びを見出せない忙しさは自分の心も身体も縛った。感謝と喜びは平行せず乖離していた。
定年後に生きがいをなくす人もあるかと思うがまさしく私も在宅介護開始とコロナ禍で、社会と繋がらなくなったこの3年半は狭い養殖の場で閉じ込められているマグロのようで半ば半死の状態で浮かんでいるようだった。今も最中だ。
それでも養殖場の網にかすかな穴が開いたように変化を感じるマグロはそこを突破口にして広い海へ泳ぎ出したいと海辺の太陽に自由を見ているようだ。
改めて自分の適性や居場所を考える。
2/16の記事『適性』 と類似しました。