情けは人のためならずに追記の語句。
在宅介護しているこれまでの日々,
簡単に表せば
一人で介護する不安からなる心身のストレス過多。
たまる心労から発生する鬱。
肉体的不調。
そして
こんな簡易的な単語では到底表せない壮絶な日々。
毎日少しずつ積もる負担は無理しすぎている事に気づかないうちにどんどんと積み重なり
気づいた時には私は重い症状になっていた。
どんな方法がうちに.夫に.あっているのか模索して実行してきたがそこに「私自身」が欠けていた。
本来 自分のことも大切に出来る人でなければ在宅介護は向かないと思う。
単なる楽天家(自負)なだけでは乗り越えられない。
自分の中の心配性が勝って、楽天的な部分など身を潜めてしまう。
自他を切り離す冷静な考え事が出来る人なら可能なのかも知れないと思う。
それはもしかしたら そもそも在宅介護をしない選択をしているかも知れないけれど.そのくらい自分のリスクをある程度事前に察知して冷静に対処できる人や、
又は家族や知り合いやコミュニティかで一緒に介護に関われる環境のある人か。
それはそれでまた色々あるかもしれないので軽々しくは言えないが。
どちらにしても
私にとって一人で行ってきた在宅介護はストレスから孤独を深め身体を病んだ。
自分の時間を作る事もストレス解消方法を実践するのも介護従事者の人としか付き合わなくなった環境にも その全てがストレスになった。
生活に困らないお金があり
住宅ローンも何とか払って住める家がある、
でも人はそれだけでは生きれない。
ただ食べて呼吸だけしても生きる屍である。
食欲も無くなり身体も心もやつれていく。
死んだように生きればいすれ弱り共倒れとなる。
そもそも夫婦関係が成り立っていない不安定な土台の上に、介護という重い瓦のようなものを乗せてバランスを取る事は至難の業だったのだ。
なのに私は自分と夫に情けをかけて、この3年半やってきた結果がこうだった事をまざまざと知ったのだ。
「情けは人のためならず」ということわざがあるが (一般的には、情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくると言う意味)
私の場合はそこに追記したいと思う。
「情けは人のためならず
なれど知らぬ限度は命とり」
あくまで私の性格に成り立つ語句である。
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