夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

脳疾患の後遺症で要介護4になった夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

迷える自由と選べない自由・夫の思いが絶たれた日




今日、

年末最後のディサービスの日が晴れて暖かいことだけで明るい気持ちになる。


私の(原因不明の)病いから
在宅介護の継続が困難になってきている事で

私の治療や休息の為には夫が介護施設に入る選択をしたいが2度の入所経験から(それぞれ20日前後)入所を拒んでいた。



入所しない場合、私が治療に行くのは夫がディサービスに行っている間となると週2日の半日型のディサービスでは治療の予約も取りにくい。

更に
ディに毎日行くのは疲れる、

1日型は暇な時間が多い、 
ショートステイの方がまだ良いと言うがショートは2ヶ月先まで取れない。
あと2つくらい契約を増やさなくてはならない。

今すぐには難しい。


そして今更はもう私の病いががあっても無くても在宅が難しいのは私自身の自覚は勿論のこと、夫も本気で考える事となった。



夫の出した答えは
介護施設は入らず故郷の◯県(ここから6時間)に一人で帰って介護保険と民間サービスをフルに入れて暮らすと言う。(私が行けないのは承知で別居してでも)
それがどのような事か、予想される助言も頭ではわかっているようだが受け入れがたい訳なので、今更はもう やってみたいのならさせてあげたいとも思う。



故郷の◯県には兄弟二人.子供二人おり、夫はそれに少々の望みを持つ他力本願もある。
他力本願は相手が承諾して初めて成立するのだが先週、その夫の希望の思いがアッサリ断たれた。


故郷の自分の家には独身の息子が一人暮らしだか、近隣の親族の意見も聞かずいきなり帰る訳にもいかないと判断した夫は自分の思いを伝えるべく

・兄に連絡(子供達とよく話すよう諭される)
・娘に連絡(子育てと仕事で忙しいので力は貸せないから帰ってきて在宅するのは難しいと思う.と話の中で2度も言われる)
・息子に連絡(1週間経っても連絡なし)(無事なのだろうか)



それを経て


その晩夫は
親族にはもう自分から連絡する事はしないと私に告げた。


夫と親族との関係性は私には計り知れないし、それぞれの事情もあるとは思うものの
その会話の中に情けの言葉や声かけが全く無く、具体性だけだったことは少し驚いた。



他社からの温かみある言葉は精神安定剤ともなりえるので嘘でもいいからとは言わないが、身体や生活に対して労いの一言でも掛けてもらえたなら少しは軽い気持ちで介護施設入所にも望めるのではなかいかと思う私もいるが
そんな事を言ったって仕方ないしその役割は今も昔も私だけなのはわかっていたような気もする。
だからといって在宅介護の形を私が一人で続けるには私自身の心身との引き換えになる。

それこそ共倒れである。(もうしていると思う)


夫に情けをもち.その事にずっとせめぎ合って来た私だったが もうそんな事も言っていられなくなってしまっている。。


もう迷うことも
選べない自由も無くなった(選ぶしかない)と
私自身も新たに覚悟を持つ事になったと自覚した日です。


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在宅介護を初めてからもう4回目の正月を迎える。

もう4回も正月を迎えるのかという気持ちと同時にもう10年くらいの長きにも感じる。

毎年どのように正月を迎えたのか殆ど記憶がない。

それでも今年も無事に年末を迎えられた事に感謝する。

来年は介護一色の内容ではなく違う色の記事も織り込める余裕がほしいと願う心境の年末です。

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