夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

脳疾患の後遺症で要介護4になった夫を在宅介護する妻の心の気づきブログ

希望


昨日の続きの内容です。


介護に自分の優しさを発揮できないジレンマを昨日は書きました。



介護生活をしている私は
介護をしなければ.自分だけであればこんな自由が得られると思っています。



一人で好きな時に出かけられて好きな時間に帰れる
いちいち報告しなくていい
好きな時に好きなものを食べられる。
好きな時に好きなTVをみれて
好きな時に起きて
好きな時に眠れる
疲れた日には食事を作る事も弁当を買う事も宅配を頼むのもいづれもしなくてよい
家事もためても支障がない
などなど..


今まで当たり前のようにしてきた事柄で
一人なら自由で自分勝手に過ごせるのではないかと思う訳です。



上記の内容を打破する為に出来る方法もあります。
夫にショートステイに行ってもらえば出来ることだらけです。
ただ費用が一泊二日で12.000円なので今でも毎月3万マイナスなのでそう多くは利用出来ません。
お金が有れば利用するかというと、うちの場合は軽いながらも両麻痺なのでリハビリの無いショートステイでは身体機能が落ちてしまうので1回の利用は二泊三日程度にとどめ、年に1、2度しか利用してきていません。
相手を立てれば自分が立たずです。
私自身がそう選択している訳ですから他に責任転嫁も出来なくて勝手にはがゆい思いですがそれがレスパイト不足なら増やさなければとも思いながらも.. コロナ拡大で現状維持になっています。


私にとってこのような事が負担になっているのは今の生活に喜びが無い事が原因です。
人に尽くす行為は 他がためならずで自分に喜びがあります。
そうなっていないのはこの介護生活を共に楽しめる相手がいないという事です。
夫と二人で今の生活を楽しめる事が理想ですがそれは叶っていません。


贅沢なことなのだろうとも思います。
他と比べてそう言っているのではなくて、今の自分と そうでなかった場合の自分を比べて
もしかするともっと最悪な事になっていたかも知れない場合を想像すれば今あるものの有り難さを実感する事でこの発想を贅沢にも感じられて平安にもなれるかも知れません。


そしてまた別の選択を想像すれば上記の自由が与わったかも知れず、それによってどんな作用があったかも(あるかも)しれないと自分の可能性を想像します。
辛くなると逃げたくなるから迷走します。


これら全ては迷いです。
現在の自分の行いに喜びがない事が迷いを生んでいます。
生活の外に楽しみを見つけても.そもそも論で満足できない。
介護生活自体に夫と共に喜びを持って日常を送れないとないと問題解決しないという思い方も自分の頑固でエゴなのだろうとも思います。


今日はとても疲れているのでこういう文章になっているのだと体調不良でメンタルが落ちることは充分に経験済みなので今日の思いは書き捨てて明日の自分に又.可能性をたくしたいと思い、可能性を持てる限りは希望があるなと思います。

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